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若狭湾と塩 海浜地域における生産遺跡の調査

清水 邦彦
同志社大学 大学院文学研究科

最終更新日 2006年2月20日

 同志社大学考古学研究室では過去、古代における生産遺跡の調査を数多くおこなってきました。とりわけ、海に関する生産遺跡の調査は多く、海浜社会の復元に大きく寄与してきたと言っても過言ではないでしょう。ここでは、そのなかでも継続して調査をおこなった若狭湾岸に焦点をあて、古代における海の生産活動を紹介したいと思います。

 その調査の開始は1958年に遡ります。若狭湾西部(福井県おおい町大飯地区)にて、石部正志(現:五條市博物館館長)・白石太一郎(現:奈良大学教授)の両氏を中心とした同志社大学大飯町考古学調査団と大飯町文化財保護委員会の合同調査がおこなわれました。この調査は4年間継続しておこなわれ、若狭湾岸の踏査及び浜禰遺跡・船岡遺跡などの発掘調査がおこなわれました。その結果、若狭湾岸における製塩遺跡の分布を明らかになるとともに、製塩土器の出土、製塩炉跡の検出などの発掘成果から若狭地域における製塩活動の具体像が考古学的に明らかになりました。また、生産遺跡だけでなく、古墳群の分布調査及び発掘調査もおこなっており、墳墓と集落の両面から若狭の古代社会を捉えようとする試みもおこなわれました。これらの成果をもとに、報告書(以下、『若狭大飯』と呼称)では浜禰Ⅰ式→浜禰Ⅱ式→船岡式→塩浜式と若狭地域における製塩土器の編年を提示し、他地域の製塩土器との比較、文献にみられる鉄釜の存在などからその画期の背景についても言及しています。その他にも、踏査によって明らかとなった製塩遺跡の分布を製塩土器の編年にそって整理し、若狭地域の製塩遺跡の展開について言及しており、また日本列島各地の製塩遺跡の分布と延喜式にみられる塩を調庸として貢納している地域(国単位)がほぼ一致していることも指摘しています。


浜禰遺跡出土の製塩土器

 上述の成果を纏めた『若狭大飯』が刊行された翌年、今度は若狭湾東部(福井県小浜市田烏)の調査が同志社大学若狭湾沿岸遺跡調査団によって行われました。この調査の特筆すべき成果は船岡式と塩浜式の間に傾式を設定することで『若狭大飯』で提示した製塩土器編年の修正をおこなったこと、及び傾遺跡において製塩炉跡が検出されたことにより、製塩炉の変遷を想定することが可能になったことの2点です。


船岡遺跡出土の製塩土器

 これらの同志社大学考古学研究室による若狭湾岸の調査・研究は列島各地で製塩活動が明らかとなるなかで、若狭湾岸における製塩活動の特質を明らかにしたという点において非常に重要な調査・研究であると同時に、これらの調査で出土した遺物は大規模な調査がない若狭地域においては今でも重要な資料と言えるでしょう。

 本館ではこれら、若狭湾岸における調査で出土した資料が展示されています。また、それだけでなく、紀淡・鳴門海峡地域の遺物など海に関わる資料が充実しています。是非、本館にお越しの際にはこれらの遺物を見ながら、海を生業の場とした「海人」に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。  


参考文献

  • 石部正志編1966『若狭大飯』同志社大学文学部考古学調査報告 第1冊
  • 森浩一他1971「福井県田烏湾における古代漁業遺跡調査報告」『若狭・近江・讃岐・阿波における古代生産遺跡の調査』同志社大学文学部考古学調査報告 第4冊




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