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大川(おおこ)遺跡と縄文早期の研究

上峯 篤史
同志社大学大学院 文学研究科 M1

最終更新日 2005年6月10日

 同志社大学には、本学の先輩達が残した貴重な考古資料がたくさんあります。ここで紹介する大川遺跡もその一部で、本遺跡は縄文時代研究の中で極めて重要な遺跡です。本遺跡は奈良県北東部の山辺郡山添村に所在する縄文時代の遺跡で、奈良県と三重県の県境を流れる名張川の流域に形成された河岸段丘上に立地しています。本遺跡は現在まで7次に渡って発掘調査が行われており、同志社大学には第1次調査の資料が保管されています。第1次調査は本学の酒詰仲男先生と岡田茂弘氏によって1957年11月に実施され、第2次調査から第7次調査は奈良県立橿原考古学研究所が行いました。本遺跡から出土する縄文土器には、木の棒に模様を刻み、それを土器に転がしたり押し当てたりすることによって模様を付けた押型文土器と呼ばれる土器が多く含まれていました。中でも本遺跡から出土した押型文土器は特徴的であり、それらは「大川(おおこ)式土器」と命名されました。この大川式土器は近畿地方の縄文時代早期初頭に位置づけられ、大川遺跡は大川式の標識遺跡として多くの研究者に知られています。押型文土器のほかにも、本遺跡からは尖頭器・石鏃・石錐・スクレイパー・楔形石器・剥片・石核・磨石・石皿などの石器や、縄文時代後期の土器も出土しています。

 本遺跡の調査によってもたらされた成果は、次の2点にまとめられます。1点目は土器編年研究への貢献です。本学の酒詰先生らによって調査が行われた1957年当時、縄文時代研究は起源の探究、つまり最古の縄文土器の探索に焦点を当てていました。そうした中、本遺跡の調査は近畿地方の押型文系土器群における大川式の存在を研究者らに認識させました。その後、1965年の岡田氏の論考を皮切りに近畿地方における押型文土器の編年が議論され、現行の編年の確立に至ります。

 本遺跡の調査のもう1つの成果は、縄文時代早期押型文期の集落構造を明らかにした点です。本遺跡ではこれまでの調査で、縄文時代早期の住居址が3棟、集石遺構が10数基、土坑が数十基、縄文時代後期の竪穴住居が1基、土坑が数基確認されています。中でも焼き石を利用した調理場と考えられている集石遺構と竪穴住居との関連が注目を集めており、縄文時代の集落構造の実態が議論されています。本遺跡の住居址は断面がすり鉢状を呈する平面円形の竪穴住居ですが、住居内には炉址が検出されていません。そうしたことから住居址付近で検出されている集石遺構に屋外炉としての性格が想定されています。

 本遺跡は現在、「カントリーパーク大川」として史跡公園化され、人々が歴史や自然に触れることのできる場所として活用されています。また出土遺物は本学歴史資料館を始め、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館や山添村歴史民族資料館などに陳列されており、近畿地方縄文時代早期の様相と、それを巡る学史を物語っています。


大川遺跡出土の押型文土器


参考文献

  • 酒詰仲男・岡田茂弘1958「大川遺跡」『奈良県文化財調査報告』2 奈良県教育委員会
  • 田部剛士2003「大川遺跡のこれまでとこれから」『利根川』24・25 利根川同人
  • 奈良県立橿原考古学研究所・編1989『奈良県山辺郡山添村 大川遺跡 縄文時代早期遺跡の発掘調査報告書』山添村教育委員会
  • 松田真一2003「大川遺跡の調査が提起した問題と課題」『利根川』24・25 利根川同人
  • 奈良県立橿原考古学研究所・編2004『大川遺跡第6・7次調査―山添村カントリーパーク事業に伴う発掘調査報告書―』山添村教育委員会




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