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神恵内(かむえない)観音洞穴遺跡と館蔵資料

若林 邦彦
同志社大学 歴史資料館 専任講師
清水 邦彦
同志社大学文学部文化史専攻 4回生

最終更新日 2004年10月12日

 当館で所蔵している同遺跡の遺物は、北海道の擦文文化期のものです。「擦文(さつもん)文化」を知っていますか?高校の日本史の教科書などでもあまり大きくは取り上げられていないと思います。ご存知のとおり、中世後半~近世の北海道には、アイヌと呼ばれる人々中心の独自の民族文化がありました。「擦文文化」とはその前身となる北海道固有の文化・時代名称です。7世紀から13世紀くらいにまで続いたこの文化の定義は難しいのですが、鉄器の本格的使用が始まり、続縄文文化の狩猟採集中心から、漁労やアワ・キビ中心の雑穀農耕を大幅に取り入れた生業へと変化した時代と言われています。本州の古代文化との交渉・影響のもとに展開した文化とされています。神恵内観音洞穴遺跡から出土した遺物からはそういった北海道独自の文化の実態がわかります。(若林)

 この遺跡は、積丹半島の西南海岸、北海道古宇郡神恵内村に位置する海蝕洞窟です。1957年、当時としては珍しい擦文文化の単純遺跡であることが判明したことから、1959年、酒詰仲男(当時同志社大学文学部教授)を団長とする調査団が結成され、発掘調査が行われました。
 1957年と1959年の調査では、石器、骨角器、貝製品、鉄器、土器、漆器片や鉄滓や宋銭(至和元宝)、貝・魚・哺乳類・植物などの自然遺物が見つかっています。とりわけ、注目されるのは宋銭・須恵器片・陶磁器片・鉄滓です。宋銭や須恵器片・陶磁器片は本州との交流・交易によりもたらされたものかもしれません。鉄滓は、この遺跡での鍛冶生産が行われていたことを示しています。また、多量に出土したヤスなどの骨角器と動物遺存体は当時の生業を考える上で非常に重要な資料です。(清水)

 発掘された遺物は、現在、同志社大学歴史資料館が保管しています。一部は当館に展示していますが、30年以上前の調査資料ということで、詳細な所蔵品リストが完備できていません。展示品以外の資料については、徐々に当館が進めている収蔵資料のデータベース化作業の一環で整理を行っています。関西地域では珍しい、北海道の考古資料となります。ぜひご来館いただき、資料をご覧ください。(若林)


擦文土器

骨角製の銛先


参考文献

  • 坪田嘉子・石附喜三男1959「北海道神恵内洞窟出土の土器」先史学研究1 同志社大学先史学研究会
  • 四手井晴子1960「北海道観音洞窟発掘経過報告」先史学研究2 同志社大学先史学研究会



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