整理室日記 | 執筆記事|同志社大学歴史資料館

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銭にこめた想い

中川 琢雄
同志社大学大学院博士課程前期

最終更新日 2003年1月29日 日

 烏丸通、上立売通、室町通に囲まれた調査区画の真中に位置する土坑中からひとつの壺が発見されました。土坑は壺がすっぽり入る大きさで、きれいに据えられた状態でみつかったため、何らかの目的でこの場所に埋められたものと考えられます。

 壺は肩のあたりで削平を受けており、内部には土が落ち込んでいました。未詳な点が多いものの、実測の結果この壺は16世紀末から17世紀はじめ頃のものと思われ、形状としては信楽焼の蹲壺と呼ばれるものに近いことが分かりました。

 同じ土坑中からは雲母片が、壺の中からは2枚の銅銭が発見されました。銅銭は壺中に入れられていたものと思われます。もともと2枚だったのか、それとも当初と数が変わっているのかは分かりません。詳しい検討は遺構など諸要素を加味しなければなりませんが、今回は出土遺物、特にお金について考えてみようと思います。

 そもそもお金を埋めるという行為にはどのような意味があったのでしょうか。古くは弥生時代の遺跡から銭貨が出土しています。石棺中から出土した例は銭貨によって死後の世界での安泰を祈念して、胞衣壺に銭貨を入れたのは嬰児の生育を願ってのことでしょうか。

 また中世以降、特に近世に入ってからは六道銭の風習が盛んになりました。六道銭とは死者を葬るときに棺に入れる銭貨のことで、俗に三途の川の渡し賃と言われます。古くから日本では銭貨に対して特別な力があると考えられてきました。

地域によっては六道銭の風習はまだ健在ですし、沖縄では紙銭が市販されているのを見ることができます。現在でもこうしたお金に対するある種の信仰は脈々と生きているのです。


壺がみつかった


雪の中、発掘した


壺の中、歴史がみえた




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