若林 邦彦
同志社大学 歴史資料館 専任講師
最終更新日 2005年1月31日
現在発掘中の岩倉での同志社小学校建設に先立つ調査では、古墳時代初頭(3世紀ごろ)の竪穴住居跡が数棟検出されています。その中には土器作りにかかわった施設だったと考えられる竪穴住居がみつかりました。
竪穴住居230と名づけられたその建物跡(写真1)は、長辺約6.5m・短辺約6mの方形の住居跡です。遺跡が江戸時代の耕作で削平されているため深さ約10センチ程度しか残っていません。実際にはもう数十センチの深さがあったものと考えられます。だた、削平は受けているものの、使用されていた当時の床面は良く残っていて、土器の破片などが生活面に残った状態で散らばっている状況が確認できました。
注目されるのは、その住居跡の北東隅に直径40㎝厚さ10センチ程度の白い粘土の塊は出土したことです(写真2)。この粘土塊は、それよりやや大きめの浅い穴を住居の床面に掘り、そこにすえられていたことがわかりました。また、直径10センチ程度の同質の粘土片が、住居の柱穴の横に床面に貼りつくように検出されました。
出土した粘土塊は、非常にきめ細かい素地であまり砂粒などが入っていません。今回の発掘調査区内にはこのような粘土がとれる土はみあたらず、どこか別の場所から集落の中に持ち込まれたものと考えられます。土器か土製品を作るためのものと考えられます。住居跡の隅に大きめの塊で置かれていたのは、その土器作り用の粘土を保管していた跡ではないでしょうか。同じ粘土の小片が住居内で見つかっているのは、実際にそういった粘土を使った作業が住居内で行われた痕跡だとも考えられます。
他の遺跡でも土器作り用と考えられる粘土塊が住居内から出土する例はみられます。いずれも住居の壁近くか隅のほうにおかれていることが多いようです。今回、粘土塊が出土した竪穴住居跡は一辺が約6.5mと通常の方形竪穴住居の中でもやや大きめのサイズです。もしかしたら、土器作りなどを行う共同の施設だったのかもしれません。
また、今回の集落が形成された古墳時代初頭の土器の中には、小型のお祭り用とも考えられる精製土器がたくさんみられることが特徴といわれています。竪穴住居230からみつかった粘土は、砂粒がほとんど混じらないもので、そういった粘土は小型精製土器の素材としてよく用いられています。今回出土した粘土が、もしそのまま土器作りに使われていたとしたら、そういったお祭り関連の器種を作っていたとも考えられます。また、この粘土にさらに砂粒などを混ぜて土器を作っていたのであれば、この住居内では、そういった土器作りの素材つくりが行われていたとも考えられます。
竪穴住居230の様子から、3世紀の人たちが行ったモノづくりの一端がうかがえます。