発掘物語6 | 執筆記事|同志社大学歴史資料館

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寛永文化を掘る(その1) ~『隔冥記(かくめいき)』と陶磁器~

竹井 良介
同志社大学 文学部2回生
杉山 俊介
同志社大学大学院 文学研究科

最終更新日 2004年11月1日

 今年発掘調査が行われた新町キャンパスの臨光館地点には、江戸時代の寛永期(1624~44)の「洛中絵図」において、公家のなかでも最も格式の高い家柄の五摂家の筆頭である近衛家の邸宅「桜御所」のあったことが確認できます。

 この寛永期には、さまざまな知識人・文化人たちがサロンを形成し、お互いに交流することで作り上げられた寛永文化が花開きました。このサロンで中心的な存在であったのが、当時天皇を引退して「仙洞」と尊称されていた後水尾上皇と、上皇の兄弟で寛永年間には「桜御所」に住んでいた近衛信尋の両人でした。彼らの文化的交流や活動の側面については、この文化グループの一員で、上皇や信尋と血縁関係にもあった金閣寺の住職、鳳林承章が書いた日記『隔?記』から読みとることができます。この日記からは、漢詩、和歌の会をひらいたり、連句や茶会、源氏物語の講義を行ったりなど、当時の文化的活動がどのようなものであったかをうかがい知ることができます。とくに、茶会の項にはさまざまな陶磁器が登場しています。今回は、日記に書かれた陶磁器関連の史料を紹介します。

 この日記が書かれた寛永期には、陶磁器の売買を職業にする者もいたことがわかります(寛永15年10月15日「為天目代之分与、而金子一歩両ヶ、遣大平五兵衛也」)。また陶磁器は贈答品としても使用され、歳暮や年玉の品目としてあげられています(慶安4年正月朔日「為年玉、…自平吉、塗恵之也」)。


臨光館地点の土器・陶磁器





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