発掘物語6 | 執筆記事|同志社大学歴史資料館

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続・異形の井戸

鋤柄 俊夫
同志社大学 歴史資料館 助教授

最終更新日 2004年9月3日

 この夏の歴史資料館は、一昨年を思い出させるような発掘ラッシュになっています。新町キャンパスでは、北志寮地点の調査が、ほぼ半分終わったところで中断し、解体工事の関係で止まっていた近衛殿の調査が再開されています。前回までお知らせしていた北志寮地点には、この調査が終わってから戻る予定です。

 さて、今回の臨光館地点トレンチは、新町キャンパスの正門を入ったすぐのところで、北と南の2か所が設けられました。現在江戸時代から安土桃山時代を調査中ですが、注目すべき2つの遺構が、見つかっています。

 ひとつは南側のトレンチから見つかった蔵の跡です。浅く掘りくぼめた四角な穴の周囲に石を並べ、さらに土の壁に磚を貼り付けています。上面が厚い焼け土で覆われていおり、中から江戸時代の土器と陶磁器が出土しました。

 この時期のこのあたりは、絵図に従えば近衛殿の周りにあった町屋の敷地になります。しかし町屋といっても立派な蔵をもっていた家だと思っていたら、焼け土の中から未使用の小型坩堝がたくさん出土しました。思い出せば2002年の春に学生会館の調査で大規模な鏡工房がみつかりました。その関係の施設なのでしょうか。

 北側のトレンチからは、石組みの遺構がみつかりました。平面の形は長方形で大きさは1.3×0.7m、深さは1.5mです。地下蔵にしては深くて狭いし、井戸にも見えない。まるで異形の井戸と。

 そういえば7月までおこなっていた臨光館地点の調査で、素掘りですが、やはり異形の井戸のような深い土坑が4つ見つかっています。それらはいずれも近衛殿屋敷の推定地内にあって、およそ15世紀から17世紀まで、順番につくられて埋められていったようです。今回見つかった石組みは、おおむね18世紀と思われますから、もしこれも一連の遺構だとすれば、井戸の様な長方形の深い土坑が、近衛家の独自の文化を物語る歴史遺産だということになります。

 この調査が大詰めを迎える9月には、歴史資料館に新しい専任スタッフも迎え、新たに岩倉校地の発掘も始まります。

 学生君たちも、またひと夏を経て、遺構をみたり、遺物をとりあげたり、実測したり、写真を撮ったり、報告書や図録の編集をしたり、遺跡と関わる中で着実に大きくなっていくことでしょう。


蔵跡


未使用の坩堝


南のトレンチから出土した香炉と朱書き陶器


異形の井戸





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