発掘物語6 | 執筆記事|同志社大学歴史資料館

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発掘が始まりました

堀井 佳代子
文化史学専攻博士課程前期一回生

最終更新日 2004年5月7日

 4月19日から新町校舎の発掘が始まりました。今回は新町校舎の中でも南側の臨光館地点の発掘です。 では、ここからどのような遺構・遺物が発見されるのでしょう?新町校舎地点の歴史を少し振り返って見ましょう。  

 新町校舎は近衛殿表町と近衛殿北口町にまたがって位置しています。この町名は、ここに五摂家の一つである 近衛家の邸宅があったことに由来しています。近衛家とは平安時代後期に藤原氏から分かれて出来た家であり、 貴族の中でも最も家格の高い家の一つでした。

 江戸時代の京都の姿を描いた地図、「寛永十四年洛中絵図」でも、現在の新町校舎にあたる地点一帯は 「近衛殿・桜御所」という建物が描かれています。「桜御所」という名称は、近衛殿の別名です。近衛殿の 庭に咲く糸桜の見事さが広く有名であったため、近衛殿を「桜御所」と呼ぶようになったようです。16世紀の 京都の様子を描いたという「町田本洛中洛外図」・「上杉本洛中洛外図」にも、新町校舎付近と考えられる場所に 近衛殿は描かれており、さらに建物だけではなく、庭に咲く一本の糸桜も描きこまれています。

 しかし、近衛殿・桜御所については、いつ頃この地点に建造されたのかなどは明らかにされておらず、いまだ不明な点も多く残っています。

 このように、かつての新町校舎地点の歴史を考えると、今回の発掘では、貴族の邸宅であった、近衛殿桜御所に関する遺構・遺物が発見される可能性が強いのです。

 では次回は、近衛殿桜御所について、さらに詳しい話に入っていきます。


春の上京-近衛殿から室町殿を見る-
手前の道が新町通り、置くの煉瓦と黒の建物が寒梅館、その奥の森が相国寺、遠くに比叡山を望む





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