同志社大学通信『One Purpose』vol.136より
松田 度
同志社大学 歴史資料館 調査研究員
同志社大学 大学院 博士課程後期
最終更新日 2003年10月9日
6月21日、晴天。
いつもは大学生でいっぱいの新町キャンパスに老若男女が集まってきました。この日、20年近く前までは体育館だった第1従規館跡地で、遺跡の現地説明会が開催されました。地表下2mの地面に見えるのは、室町時代から江戸時代に使用された穴や溝、石組みの井戸。「どうしてこんな穴や溝がこの場所にあるんだろう」。そんな疑問に、この遺跡の調査にたずさわった文学研究科博士課程(後期)・歴史資料館調査研究員の松田度がお答えいたします。
今回の発掘調査は、新研究室棟(仮称)の建設にともなうもので、4月に開始しました。調査地点(同志社大学第1従規館地点)は、同志社大学新町キャンパスの南端、境界の外の飛び地にあって、その北半分が近衛殿表町、南半分が元本満寺町に属します。南半分は、その地名から室町時代の法華宗寺院・本満寺(注)の跡地と推定されていました。
調査の結果、江戸時代の町家の一角と、室町時代後半代に埋没した堀・溝がみつかりました。江戸時代の蔵・井戸・地下蔵(貯蔵庫)は、現在静かなブームとなっている京都の町家での暮らしを想起させるものです。室町時代の堀・溝は、室町時代の上京各地に設けられていた「構(かまえ)」とよばれる防御施設に関連する可能性があります。特に、本満寺という寺院の実態を考えるうえでも、新たな資料を提供することができたといえます。
歴史資料館は、これまでにもキャンパス内の建物の建て替えにともなう発掘調査を行ってきました。その調査と研究の成果は、京田辺キャンパスにある歴史資料館の展示に反映されています。今回の調査成果も、展示内容に反映させていこうと思います。また、現在建築中の新大学会館(仮称)内にも、昨年実施した旧大学会館跡地(室町時代の将軍邸「花の御所」推定地)の調査成果をもとにした、歴史展示エリアが設けられる予定です。
歴史資料館では、これらの調査・研究成果をもちいて、本学が位置する上京の歴史を徐々に明らかにしていきたいと考えています。
ところで、今回の現地説明会を含め、発掘調査やその成果の公開・普及活動を支えてくれているのは、歴史資料館の業務にアルバイトとして参加している約50人の学生スタッフです。彼・彼女らの活躍は、歴史資料館のオリジナルホームページ(http://hmuseum.doshisha.ac.jp/)でも紹介さていますが、発掘調査はもちろん、出土品の整理、展示の準備や案内まで、学生スタッフのアイデアと努力が生かされていることも、大学ならではといえるのではないでしょうか。もちろん、それを支えている歴史資料館の専属スタッフを忘れることはできません。
出土品の整理作業は現在、新町キャンパス臨光館地下にある整理事務所で行われています。見つかった土器の洗浄から出土場所の注記、分類・接合復元と実測図作成という作業が主な業務です。授業の合間をみて、整理作業を手伝ってくれる学生スタッフは、ここでも頼もしい存在です。
発掘調査と整理作業にたずさわる学生スタッフの声を聞いてみました。
-発掘調査にたずさわって、なにを感じますか?
稲山陽子さん(神学部2年)「歴史のまち京都にいるなあという感じがします。教科書で知っていた歴史をもっと身近にイメージできるようになりました。」
疋田由香里さん(文学部2年)「みつかったいろいろなものを丁寧に掘っていても、調査しているうちに壊してしまっているんじゃないかという気がします。だから、それをちゃんと理解してあげたいという気持ち、責任感みたいなものがわいてきます。」
-現地説明会はどうでしたか?
市澤泰峰さん(文学部3年)「忙しかったです。出土品の展示も分かりやすく見てもらおうと思って苦労しました。」
-整理作業については?
岡本佑規さん(文学部4年)「それぞれの作業に魅力を感じます。洗っているうちに土器に書かれている文字を発見したり、接合しながら土器が形になっていく喜びとか、実測図を書いてそれが記録として残されることも嬉しいです。」
堀内康武さん(商学部4年)「実際に手でふれて学べる、最高の学びの場だと思いますね。」
遺跡へ足をはこびつつ、私たちはいつしか過去の京都、過去の人々が営んだ風景へとタイムスリップしていきます。この上京の地下には、歴史がぎっしりつまっています。皆さんも、今出川キャンパスに立って、ふと、過去の歴史世界に思いを馳せるときがあるのではないでしょうか。