松田 度
同志社大学 歴史資料館 調査研究員
同志社大学 大学院 博士課程後期
最終更新日 2003年4月15日
本満寺の構え跡(同志社大学新町第1従規館地点)の発掘調査が進行中です。今回紹介するのは、江戸時代の焼土中からみつかった染付碗です。 半分しか残っていませんが、まるで上から押しつぶされたように、高熱を受けてゆがんでいます。もともとは、高台径3cm、高さ5センチくらいの碗であったとみられます。 内外面ともにガラス質の部分が溶けて、火ぶくれが生じ、ざらざらした手触りに変化しています。
とくに内面には、火事で焼けた磁器の特徴であるヒゲ状の亀裂が見られます。ただしこの「ヒゲ」も縦横無尽に走るわけではありません。 「高熱のせいで胎土が収縮を起こして、おそらく製作時の積み上げ単位に沿って亀裂が入っているのではないだろうか。」 そんなことを考えながら、この火災がおこった当時の状況を思い浮かべます。 この染付碗がみつかった地点の北側は、江戸時代に「桜の御所」とよばれた桜の名所でした。春になると、名物の「糸桜」を一目見ようと 多くの人々が集い、語りあったことでしょう。この染付碗を使っていた人も、にぎやかな「桜の御所」を肴に、京の春を謳歌していたかもしれません。 ある日突然、このあたり一帯を焼き尽くした火災は、多くの人々の幸せを奪ったはずです。火災の恐ろしさを、この染付碗が象徴しています。 染付椀がゆがむほどの大火事、いったいいつ頃の火事なのか。これからの調査で明らかにしてゆこうとおもいます。