発掘物語3 | 執筆記事|同志社大学歴史資料館

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第15回 : 地下蔵に捨てられたもの
~発掘調査中間報告2・出土遺物~

松田 度
同志社大学 歴史資料館 調査研究員
同志社大学 大学院 博士課程後期

最終更新日 2003年6月15日

 梅雨の季節です。発掘調査の進み具合も、天気に左右されてしまいます。雨の日には整理室にこもって、出土遺物の整理をする機会も増えつつあります。  この発掘物語3では、これまでにも江戸時代の焼けた染付碗や「織部」、平安時代・鎌倉時代の瓦について紹介してきました。今回は、江戸時代の町屋の一角にあたる、石組みの地下蔵からみつかった土器・陶磁器にスポットをあててみましょう。

 この地下蔵は、調査区の南端(現在の元本満寺町の南部分)に位置しています。長軸240cm、短軸140cm、深さ110cmの貯蔵庫とみられるものです。内部には、多量の土器・陶磁器が廃棄されていました。
 土器・陶磁器の内訳は、焼き締め陶器、肥前系陶器、瀬戸美濃系を含む施釉陶器、京焼、染付、青磁、白磁、瓦器、土師器があります。これらの土器・陶磁器の特徴から、17世紀後半~18世紀初め頃の年代におさまる一群と考えられます。考古学的にも、この時代の陶磁器の組み合わせを知る貴重な一括資料となりそうです。

 焼き締め陶器は、信楽・丹波のすり鉢が多く7つ以上、備前の徳利が1つあります。
 肥前系陶器は、唐津の丸碗3つ、片口鉢1つ、三島手大鉢2つ、白泥でハケ目をつけた碗6つ。京焼写しの陶器も、破片ですが多くみられます。ほかに青緑釉を施す皿が2つ以上、鉄絵の中皿が1つあります。
 施釉陶器は、茶葉入れとみられる鉄釉壺、水指とみられる筒形陶器がひとつ。鉄釉をほどこした「つぼつぼ」が3つあります。京焼は、鬢水入れが1つ以上。大黒・恵比寿の人形が1つずつ。内面に魚をあしらった三彩風の陶器の一部が1つあります。
 染付は、口縁部に鉄銹を施し蛸唐草を表現した中皿が1つ、摺絵の技法を用いたもの1つ。碗は20個あり、そのうち同じ文様を施したものが4つあります。また胎土が赤く発色する特徴的な碗が4つあります。そのほか猪口が5つ、蓋が1つ、花瓶が1つ、高杯が1つあります。
 ほかに赤絵で文様を描いた皿が1つ、精緻な文様の色絵四方鉢が1つあります。
青磁では、花瓶が1つ。白磁は碗が2つ、ぐいのみが4つ、高杯が2つ。土師器は、小皿・中皿があり、小鉢が1つあります。

さて、この組み合わせですが、興味深いことがいくつか見て取れます。
 ひとつは、このなかに「茶道具」とみられるセットが含まれていることです。具体的には、唐津の丸碗、備前の徳利、茶葉入れとみられる鉄釉壺、水指とみられる筒状の容器、鉄釉をほどこした「つぼつぼ」がそれに該当すると考えられます。この町屋の住人も、「茶道」の心得があったのでしょうか。

 もうひとつは、「そろい」の食器があることです。具体的には、同じ文様を施した染付碗が4つ。白磁のぐいのみ4つが該当すると考えられます。客用の食器だったのでしょうか。

このように、地下蔵の出土資料から、17世紀後半~18世紀初め頃、元本満寺町の町屋に住んでいた人たちの具体的な生活の風景が描けそうです(この町屋の話については、次回の発掘物語で!)。

 これからも、発掘調査と整理作業を進めてゆくなかで、このような土に埋もれた歴史をひとつひとつ明らかにしてゆきたいと思います。


地下蔵からみつかった陶磁器



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