発掘物語3 | 執筆記事|同志社大学歴史資料館

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第13回 : 砥石のお話

市澤 泰峰
同志社大学 文学部文化学科文化史学専攻 三回生

最終更新日 2003年6月10日

 新町北別館地点、大学会館北地点・南地点、そして今回の第一従規館地点、各地点では、砥石として使われたと考えられる、表面がつるつるになった石が大量に出土しています。他府県では、京都型砥石といった用語も使われているらしいこの砥石たちについて、今回は考えてみたいと思います。

 「押小路に砥粉、高雄に砥、鳴滝の飛石、打蒔の青石、宇治の瓶原砥」
以上は、松江重頼によって編集され、京都を一七世紀前半に観光に訪れた貞門の俳諧作法書である『毛吹草』の中に出てくる、砥石に関すると考えられる記述です。ちなみに、この『毛吹草』という史料はもともと俳諧の作法書なのですが、その中に全国各地の名産品についての記述があり、非常に興味深い史料です。

 それでは、実際に京都における砥石事情をみてみたいと思います。京都は砥石の産地として知られ、今日でも京都天然砥石という名で知られています。その発祥は800年前の鎌倉時代に、洛西嵯峨の奧、菖蒲谷にて、本間籐左衛門が天然砥石を発掘し、後鳥羽上皇に献上して、御嘉賞を受けるとともに、源頼朝から『日本礪石師棟梁(にほんれいせきしとうりょう)』の免許をうけたことから始まります。京都天然砥石の主要な砥石山としては、梅ヶ畑、高雄山、原、馬路、保津、八木、瑞穂、京北、宮前、滋賀などが知られています。

 砥石にも、研ぎの段階による使い分けや、その模様によっていろいろと種類があるようです。研ぎの段階による使い分けでは、おおまかな研ぎに使う荒砥、荒砥で研いだときにできる条痕を取り除き、刃先を細かく滑らかにする中砥、中砥でできたわずかな条痕を取り除き鏡のように滑らかに研ぎ上げ、切れ味を持続させ、微妙な狂いを微調整する仕上げ砥、といった分類があります。この仕上げ砥なのですが、これが産出するのは京都周辺だけであり、高級品であったようです。そして上記の砥石山がこの仕上げ砥を産出する砥石山であったのです。ちなみにこの京都産の仕上げ砥は合砥ととも呼ばれます。また京都産の仕上げ砥を本山ということもあるのですが、これは上記の本間籐左衛門の子孫が代々採掘にあたってきたので、本間の山、略して本山と呼ぶようになり、後に、鳴滝、中山、丹波各地のものも全て本山と呼ぶようになりました。

 以上が京都の砥石に関する一般的な解説です。しかし、実際の遺跡から出土する砥石についての研究といったものはほとんどなされてきていません。今回京都で出土した砥石といっても京都産の砥石であるかどうかはよくわかっていません。整理室日記の第二十一回でも書いたように、私は生産?消費関係というものは非常に重要であると考えています。それは、一つの文化圏を示すとともに、文化圏の広がりとその広がるスピードというものをみつめることで、地域同士のつながりや、地域の特徴というものがみえてくるのではないかと感じるからです。その観点からすると、これら砥石も非常に興味深い素材であると思います。


砥石



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