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第11回 : 同志社大学第1従規館地点(推定本満寺跡)・発掘調査中間報告

松田 度
同志社大学 歴史資料館 調査研究員
同志社大学 大学院 博士課程後期

最終更新日 2003年6月3日

 4月7日より実施している同志社大学第1従規館地点の発掘調査は、予定されている行程のうち、東半分の調査をおえたところです。
今回は、東半分の調査区でみつかった主な遺構について、その概要を述べようと思います。

 みつかった遺構は、おおきく近世と中世の遺構にわけることができます。

  • 近世
    • 焼土を埋土とし、17世紀初頭頃の土器・陶磁器が出土した土坑(土坑119)。
  • 中世
    • 中世後期(15世紀後半から16世紀前半代)に埋没した南北方向の溝(溝21)
    • 中世後期(16世紀前半代)に埋没した東西方向の溝(溝11)と、南北方向(やや北北東に傾く)の溝(溝18)

 今回の調査では、特に中世の溝状遺構が注目されます。
溝11は、幅1.26m、深さ1.18m、長さ1.85mを検出しましたが、トレンチ外にのびるため不明。溝18は、幅1.3m、深さは場所によって異なり、20~60cm、長さ24.7mを検出しましたが、トレンチ外にのびるため不明。溝21は、幅1.8m以上、深さ平均87cm前後、長さ23.7mを検出し、その北端が判明しましたが、南端はトレンチ外にのびるため不明。埋土は下層が砂利とこぶし大の礫を含み、遺物を含まず、東側から埋められた状況。上層(砂利を含むシルト層)から少量の遺物が出土しています。これらの溝については、埋土の違い、遺構の切り合い関係や、出土遺物の年代から、溝21が埋没後、溝11・18が埋没したという関係にあります。
 当調査地点は、中世における近衛家の別邸(近衛殿)の南に建立されたと伝えられる「本満寺」の推定地でもあります。その建立年代については未だ定説がありませんが、上記の溝状遺構については、この本満寺との関連性を考慮する必要もあります(発掘物語3第1回第6回参照)。
 なお、これらの溝の埋土からは、13世紀代に位置づけられる「卍」をあしらった連弁文軒丸瓦と、同時期に位置づけられる剣頭文軒平瓦の一部、古代(平安時代)にさかのぼる複弁八弁蓮華文軒丸瓦の一部がみつかっています(発掘物語3第9回)。

 現状で明確な判断を下すことはできませんが、今回の発掘調査により、本満寺と呼ばれた中世上京の寺院について、発掘調査からその実態を解明できる可能性がでてきました。これから調査区西半部の調査を進める予定です。ご期待ください。


溝11(中央)


溝18全景(南から)


溝21(北から)



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