鋤柄 俊夫
同志社大学 歴史資料館 専任講師
最終更新日 2002年7月25日
戦国時代から江戸時代はじめの京都の様子を描いたものとして有名な洛中洛外図ですが、現存するうちで最も古い作品とされているのが、町田家旧蔵本と呼ばれる歴博甲本です。
その景観年代については、公方様とされる足利将軍邸が、油小路東・西洞院西・寺之内北に描かれており、それが足利義晴によって大永5年(1525)に造営された柳原御所に比定されるところから、上限が大永5年頃と考えられています。
一方その構図ですが、下京を描いた部分は鴨川と平行する形で展開しているのに対して、上京部分ついては、ある一点から鳥瞰した構図になっており、それが実際の建物などとも合ってくるところから、地図としての信頼性についても高い評価が与えられています。
相国寺の七重塔は、足利義満が明徳3年(1392)に基礎を定め、その後以下のような変遷をたどっています。
明徳4年(1393)立柱
応永6年(1399)落成
応永10年(1403)炎上
応永32年(1425)中山定親が大塔を訪れる。
文明2年(1470)落雷で焼失
したがって上京部分の構図の起点が相国寺の七重塔であったとしても、町田家旧蔵本が描かれた時には、実際にそこから上京を鳥瞰することはできなかったことになります。
それでは上京部分の構図はどこから生まれたのでしょうか。
この点について、石田尚豊さんは、「洛中洛外図屏風の概観」『洛中洛外図大観』(小学館)のなかで、塔を起点としたとき、屏風に描かれた遠景の一部は、絵のバランスの関係で移動させられているが、主要な遠景と近景に注目すると、その関係が実際の場所と矛盾しないことから、やはりこの構図は塔上からの実景に基づいているものとして、上京部分の少なくともその原図は、相国寺七重塔の建っていた文明2年以前に溯る可能性を指摘しています。
なお町田家旧蔵歴博甲本の室町通りは屏風の最下段に描かれており、この直後に室町殿が再建される室町通りに面した上立売の南側は、町屋が立ち並んでいる様子がわずかにうかがわれるばかりです。