発掘物語 | 執筆記事|同志社大学歴史資料館

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地下蔵のある風景

鋤柄 俊夫
同志社大学 歴史資料館 専任講師

最終更新日 2002年3月4日

新町キャンパスの北別館地点から、2個所で石組みの地下式貯蔵穴がみつかっています。1カ所は調査区の南東隅(写真1)、もう1カ所は調査区の南西隅です(写真2)。

大きさは南東隅のものが南北1.4m東西は1.2m以上、深さは45cm、南西隅のものが、南北1.2m東西は1.8m以上、深さは70cmです。両方ともに長方形ですが、南東隅のものは、南西のコーナーに丸みがあります。

これらの遺構は、京都市内で調査をおこなうと、安土桃山時代以降になって多くみられます。

たいがいの場合、最後はゴミ捨て穴とされてしまうため、どのように使われていたのかはわかりませんが、おおむね台所の地下にあったような貯蔵庫をイメージしてもらったら良いのではないかと思います。

だからこういった遺構がどのように配置されているかを調べれば、この時代の屋敷の構造がわかるかもしれません。これからの大きなテーマです。

それからこの遺構には歴史的に重要な役割があります。それがこの遺構の出現時期です。今のところ、安土桃山時代になってどうして普及したのかはわりません。しかし、中世から近世に時代が大きく変わるとき、その何かを反映した結果である可能性は高いと思います。遺構もまた歴史の重要な語り部です。


写真1:調査区の南東隅での貯蔵穴


写真2:調査区の南西隅での貯蔵穴



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