発掘物語 | 執筆記事|同志社大学歴史資料館

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鎌倉時代が出た

鋤柄 俊夫
同志社大学 歴史資料館 専任講師

最終更新日 2002年2月28日

鎌倉時代の遺物が出土しました。出土した場所は、新町キャンパス北別館地点の南西隅のトレンチ(発掘調査のために掘っている穴)です。出土した遺物は、現在の明石市に所在する魚住窯で焼かれたすり鉢(こね鉢)の破片(一番上の縁の部分)で、地山の上面にわずかに残された土の中から発見されました(写真1)。

よく知られているように、平安時代のこの場所は、平安京の一条大路より北にあたる京外の地でした。それが平安時代後期以降、右京が衰退する一方で、人家は左京を中心として、さらに鴨川の東や一条以北にもひろがっていきます。

伏見天皇は永仁6年(1298)に、里内裏の一つであった持明院殿を仙洞御所としたが、その場所は、新町通り上立売上がるとされており、今回の調査地点の北にあたります。このすり鉢の年代は13世紀後半と考えられますから、ちょうどその頃です。伏見天皇が持明院殿をおいたとき、確かにその周辺にも人家が広がっていたようです。

1辺が3センチにもみたない小さな土器のかけらですが、古代都市から中世都市に変貌する京都の姿をしっかり語っています。

なお、その隣りの土坑からは南北朝期と思われる備前焼の甕の破片もみつかりました(写真2)。


写真1:すり鉢(こね鉢)の破片


写真2:備前焼の甕の破片



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