発掘物語 | 執筆記事|同志社大学歴史資料館

ホーム >執筆記事 >発掘物語

タイムマシンに乗って

鋤柄 俊夫
同志社大学 歴史資料館 専任講師

最終更新日 2002年2月14日

いよいよ12日から調査が始まりました。工事との関係で、新町キャンパス北別館地区の南東隅からの掘削開始です(調査地点の詳細は、いずれアクティヴな表示ができるように考えていきますので、しばしお待ちください)。調査開始二日目ですが、もう一部は秀吉の生きていた時代に近づいています。

調査場所が校舎の間にあたっていたため、地表面から50㎝から場所によっては1m近くまで、水道管やガス管など現代の遺構が多数みられましたが、それらを取り除くと、その下から、細かな炭や土器の破片を含んだ砂混じりの土が現れ、その中から、安土・桃山時代から江戸時代はじめ頃(今からおよそ400年くらい前)の土器や陶磁器が見つかり始めました。

主な出土遺物は、信楽焼き(滋賀県)の擂り鉢、丹波焼き(兵庫県)の擂り鉢、備前焼き(岡山県)の壺、唐津焼き(佐賀県)の皿、美濃瀬戸焼き(岐阜県・愛知県)の碗、焼き塩壺(大阪府)および京都の近郊で焼かれていた素焼きの皿(かわらけ)などです。ほぼ時期が限定できるため、この土は、京都の支配が秀吉から徳川に変わったときに、一時期に造成された盛り土の可能性が考えられます。

またこの土の面の上には、いくつものゴミ穴など(遺構)がみられ、そのうちのひとつからは江戸時代前期と思われる土器がまとまって出土しました(写真1)。

写真2は写真測量による土層断面の記録風景です。左側と右側にガス管を埋めるために掘った穴があり、中央に江戸時代中期以降の盛り土があります。最下層は通称「地山」と呼ばれる、固い砂礫層。人間の歴史より古い時代の層です。


写真1 土器がまとまって出土した遺構。


写真2 土層断面の記録風景。



ページの先頭に戻る