発掘物語 | 執筆記事|同志社大学歴史資料館

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近衛殿の碑

松本 裕世
同志社大学 歴史資料館 嘱託要員

最終更新日 2002年2月8日

皆さんは新町校舎の敷地に昔、五摂家の筆頭である近衛家の邸宅があったことを知っていますか?私は知らなかったのですが、新町北別館の解体にともない周辺を調査したときに、北別館の南西角に写真のような石碑があることを知りました。石碑には「近衛家舊邸址 大正七年十月建之 公爵近衛文麿書」と刻まれています。ということで、新町校地に、そしてこの石碑にどのようないわれがあるのか調べてみました。

歴代の近衛家本邸は、藤原氏から分立して以来の出水通の北、室町通の東にあった鎌倉時代の屋敷。そして今回の発掘の場所、新町校地が「桜御所」と呼ばれた室町時代の屋敷。現在の京都御所の北の一部にあった江戸時代の屋敷の三つが挙げられます。

室町時代といえば、足利義満、その義満が近衛道嗣に糸桜の小木を所望している記事が、近衛道嗣の日記『愚管記』にのっています。他に『洛中洛外図屏風―町田本、上杉本、東博模本』にもそれぞれ、邸内の庭に枝のしだれ大木が描かれています。これこそが「桜御所」と呼ばれた近衛殿の糸桜なのです。

この様な、歴史的に重要な場所の一部を今回発掘するのかと、改めて興味が湧きました。石碑については、おそらく、日本電池株式会社が近衛文麿より近衛家の土地をすべて購入するさいに、近衛文麿が後世にここに近衛家があったことを知らしめるために、石碑を建立したのだと思われます。

しかし、もう少し詳しい経緯や云われ等を調べていますのでまた改めて報告します。

なお、近衛家の石碑につきましては、1月28日に無事に仮置き場に移設しました。写真は移設の日に撮ったものです。


近衛殿の碑



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