発掘物語 | 執筆記事|同志社大学歴史資料館

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石列と石垣と溝

鋤柄 俊夫
同志社大学 歴史資料館 専任講師

最終更新日 2002年4月1日

新町北別館地点の調査が進んでいます。

1、南東隅のトレンチから、東西と南北に軸を合わせて、L字形に配置された石列がみつかりました。  大きさは東西が2m、南北が1.7mで、南は調査区外へ延び、西は真上を走っていたガス管のために抜き取られ、さらに近代以降の建物の基礎で失われています。面を外にあわせており、おそらく建物の基礎の端を整えた縁石の一部ではないかと思われます。  なお時期は、この石列の上を覆っていた土(整地層)から16世紀終わり頃から17世紀初め頃の陶磁器が出ているため、その直前にあたるものと考えられます。

2、西部中央よりのトレンチから明治時代以降と思われる建物の基礎とそれにつながる道が見つかりました。基礎の大きさは南北5m以上、東西3m以上で、外側は高さ1mの漆喰でつないだ石垣が巡っています。道はその南東隅に取り付く形で、やはり両側に石垣を設けています。また、基礎の石垣のすぐ内側には、土管をつないだ排水施設も設けられています。高さ1mの石垣基礎は調査区の北を走る上立売通りの高さに合わせたものと思われます。

3、西南端のトレンチから、いわゆる薬研堀と呼ばれる断面がV字形をした溝がみつかりました。大きさは、幅が1.7mで深さが1mです。軸は北東から南西に向いています。明治時代の井戸と江戸時代中期の井戸に切られ、さらに安土桃山時代の地下蔵に切られており、上層から16世紀前半の素焼きの皿(かわらけ)や、14世紀代の常滑焼き(愛知県)の甕の破片が見つかりました。


1、L字形に配置された石列。


2、基礎の石垣。


3、薬研堀と呼ばれる断面がV字形をした溝。



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