松田 度
同志社大学歴史資料館非常勤嘱託職員
同志社大学大学院博士課程後期

最終更新日 2003年2月27日

青銅製柄鏡
青銅製柄鏡(拡大)

 柄鏡の写真です。この鏡は、径18.9cm、縁部の厚さ0.5cmで、火事で焼けてゆがんでしまっています。柄の部分は長さ10cm、幅3.8cm、厚さ0.4cmです。鏡の裏には、「丸に桐字紋」(桐の字は体)が表現されています。また、むかって左脇に銘があります。この銘は「稲村備後守藤原吉長」と読めます。

 この鏡は、新町北別館地点の調査でみつかったものです。江戸時代中ごろ(18世紀)におこった大火事の焼け土にまぎれ込んでいました。化粧道具の陶器や、とみられる容器、衣服を掛ける道具などと一緒に、石組みの土坑に流れ込んだ状態でみつかったことから、火事で焼けた家財道具の一部と推定されます。

 鏡がみつかった場所は、遺跡の調査成果をもとにすると、上立売通に面した、いわば商店街の裏路地付近にあたると推定されます。またこの商店街も、ただの品物を扱っていたようではなく、鏡の鋳型やの破片、炉跡など、鋳造にかかわる作業をおこなっていた痕跡や、青銅製品や銭貨がみつかった「蔵」とみられる建物が立ち並んでいたことが調査でわかっています。

 江戸時代中ごろにおこった大火事は、付近のあらゆる建物をのみこみ、焼き尽くしました。火事のあとにのこされた人々は、かつての賑わいと現実の惨状の違いにとまどったのではないでしょうか。

 この鏡が、どのような理由でこのあたりに持ち込まれたのか、真実を知ることは難しいですが、すくなくとも当時の人々の思いを伝える生き証人であることは間違いありません。