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The research workshops of Japanese History in Doshisha Univ.
In Doshisha University, there are several research workshops of Japanese history by students and teaching staff. Please click below items for getting information of the regular meeting.

Investigation report at point of Student-Union
with exhibition information


Last Updated on 8.28.2002


 同志社大学では、大学会館建て替えにともなって、2002年5月7日〜9月30日(第1期調査)および2003年1月以降(第2期調査)の予定で大学会館地点(室町殿跡)の発掘調査をおこなっています。
 このうち第1期調査について一定の成果が得られたため、9月1日(日)に現地説明会を開催し、その一部を一般公開いたします。


1、調査報告の概要
(1)上立売通り沿いの調査区から、南北朝時代前半(14世紀前半頃)に埋められた溝の一部がみつかりました。見つかった場所が(2)の石敷きの下にあたるため、その全体像はわかりませんが、東西を軸としている可能性があり、規模は現存で幅2m、深さ75cmです。
 また中庭部分の調査区から、南北朝時代前半(14世紀中頃)に埋められた井戸がみつかりました。構造は素掘りで、直径1.9m、深さは1.3mです。
 共に室町殿の前身邸を構成する施設の跡と考えられます。
 これらは鎌倉時代後期以降、それまで平安京の外であったこの地へ、京都の町並みが拡大していったことを具体的に物語る資料です。

(2)上立売通り沿いの調査区の中で、@上立売通りの南辺沿いと、Aその最も烏丸通りに近い部分から、東西方向の石敷き(@は幅1m以上、長さ延べ30m、Aは幅1.6〜1.8m、長さ9.5m以上)がみつかりました。時期はおおむね16世紀前半代と考えられます。  一方、上杉家本洛中洛外図には、室町幕府11代将軍の足利義晴が造営したとされる室町殿が烏丸・室町・今出川・上立売に囲まれた位置に描かれ、なかでもその東北の隅には、室町殿の北を限る築地塀と、その南で南と西を別の築地塀に囲まれた鎮守社が描かれています。
 今回発見された石敷きの時期は、足利義晴が造営した室町殿(1542〜1552)と併行し、その配置は洛中洛外図の描写と対応する可能性があります。
 これらの遺構は室町殿と洛中洛外図研究に新たな資料を提供するものです。
(参考)同志社大学歴史資料館オリジナルホームページ「発掘物語2」
 第13回「洛中洛外図と足利将軍邸2(上杉家本洛中洛外図屏風の室町殿の北東隅)

(3)会館南西にあたる中庭部分の調査区から、根石をもった柱列が見つかりました。
 根石をもった柱列は、直径40〜60p、深さ15〜25pで、南北に6.1m以上、東西に9.3m以上続きます。時期は16世紀前半代と考えられます。この時期は足利義晴の代に設けられた室町殿の時代と併行します。
 一方上杉家本洛中洛外図をみると、室町殿の敷地の東側で東西から南北方向へL型に曲がった板塀が描かれており、また文献史料にも、庭のある奥御殿の一角を板塀で囲うことについての記述があります。室町殿の敷地範囲に対する建物の位置関係で、検討すべき課題は残りますが、洛中洛外図の描写と対応する可能性があります。これらの遺構は室町殿と洛中洛外図研究に新たな資料を提供するものです。
(参考)同志社大学歴史資料館オリジナルホームページ「発掘物語2」
第15回「室町殿の範囲について

(4)会館南西にあたる中庭部分の調査区から広い範囲で掘り込みがみつかりました。
 範囲は東西19m以上、南北8m以上、深さ1.4mで、その南と西は調査区外へひろがっています。調査区内でわかる掘り込みの端は、基本的には直線ですが、一部に曲線を残しています。埋土は下層と中層が炭を多く含んだ土で、16世紀末〜17世紀初頭の陶磁器が大量に出土し、また上層〜最上層からは17世紀後半〜18世紀初め頃の土器と陶磁器が出土しましました。
 16世紀末〜17世紀初頭の陶磁器は、金泥かわらけや高級な茶器を含んでおり、その構成は大阪城下町の大名屋敷や大商人の屋敷跡からみつかるものと同様です。これらは江戸時代初期における上京の富裕な人々の存在とその生活の様子を知る、重要な資料です。
(参考)同志社大学歴史資料館オリジナルホームページ「発掘物語2」
第 2回「上京富有
第 5回「続・坩堝がいっぱい(疑問がいっぱい)
第 7回「金泥(きんでい)かわらけ
第11回「胞衣壷(えなつぼ)

 ところでこの巨大な掘り込みの性格ですが、最下層に粘土や砂がみられないため、水がたまっていた可能性は低く、この状況だけでは池と考えることは困難です。一方粘土採りに不必要な礫層まで掘り抜いているため、その穴とも考えにくく、また一時に埋めきっていなかったようですから、一般的な造成用のゴミ穴とすることも難しいと考えます。
 そう考えると、この巨大な掘り込みは、中・下層が埋められる17世紀初頭以前にすでに存在していて、江戸時代初期の火災などで周辺が整理されたときに、一部手が加えられながら埋められはじめたと考えられる可能性はあります。

 足利義晴による最後の室町殿は、1542年に再建をはじめますが、1546年にその跡を継いだ義輝は、近江坂本・東山霊山城・朽木谷などにあって、室町殿はあまり利用しないまま、結局1560年、近衛御所をその邸宅とします。したがって最後の室町殿が実質的に機能していたのは1542年から数年間のことで、その後はほとんど無人であったとも考えられます。

 この巨大な掘り込みはまだ南と西に続くため、現在見えているのはその一部にすぎません。また最初に述べたように、池と考えるには極めて不十分な状況です。したがって今回の調査ではその性格について明快な答えをだすことはできません。しかし、この掘り込みが16世紀代からあった可能性と、その北側で16世紀前半代の柱穴などがみつかっていることから、これらが全体として室町殿に関わる施設であった可能性も視野に入れて、今後も検討をすすめていきたいと考えています。
(参考)同志社大学歴史資料館オリジナルホームページ「発掘物語2」
第8回「資料編・室町殿」(室町殿関係年表) 


2、一般公開
(1)9月1日に現地説明会を開催し、一般に公開いたします。
日時:2002年9月1日(日)、午後1時〜3時
会場:同志社大学 大学会館(遺跡)
         明徳館1階ラウンジ(遺物・パネル)
         明徳館1階1番教室(スライドによる遺跡紹介)

 明徳館1階ラウンジでは、「鎌倉時代の京都」「洛中洛外図を掘る」「上京富有」の3部構成で、調査に参加した学生による遺物とパネルのミニ企画展示をおこないます。
 明徳館1番教室では、埋め戻した箇所のスライド説明やレーザー測量による石敷き遺構の3D映像などの紹介をおこないます。
 現地説明会は、@大学会館、A明徳館1番教室、B明徳館ラウンジの順で説明いたします。
 雨天決行。雨天の場合は、明徳館を主会場とします。
 なお、現地説明会の様子を撮影し、13時10分から14時10分までの1時間、それぞれ5分間隔の静止画像として同志社大学歴史資料館ホームページ(http://hmuseum.doshisha.ac.jp/)上で公開する予定です。



問い合わせ先: 同志社大学歴史資料館今出川地点発掘調査事務所
調査主担当 鋤柄俊夫(専任講師)
事務担当 渡辺義孝(事務長)・松本裕世
 電話 075−251−3241、FAX 075−251−3242
電子メール jt-reks1@mail.doshisha.ac.jp
なお、一般公開に当たって駐車場の準備はいたしておりません。公共交通機関をご利用ください。

(2)同志社大学では、これらの遺構の重要性を鑑み、その一部を保存し、新会館建築後も一般に公開して、教育と研究に活用できるように計画をすすめています。


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