観音寺山遺跡は、和泉山地から大阪平野に延びる狭長な 丘陵の先端近くに営まれた、弥生時代後期の大規模な 高地性の環濠集落遺跡である。集落は並行する二つの 丘陵に立地し、それぞれの集落が深い濠や段状施設によって 区画されている。集落全体で117戸の竪穴住居跡と 数棟の堀立柱建物跡が発掘された。 平野との比高は約25m前後である。集落跡からは、 石鏃や中形尖頭器などの矢や鎗として使用された打製石器と、 堅果類の加工にしようされた敲石や磨石、さらに稲作に 使用される石庖丁、また飯蛸や真蛸を獲る蛸壺など、 食料資源の獲得に奔走した弥生人の姿を彷彿させる生産に かかわる多数の遺物が出土した。これらの多様な 遺物は、高地性集落の性格について再検討をせまっている。