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最終更新日: 2017年3月29日
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学内の歴史系研究活動

同志社大学内には学生・教員による歴史系研究会がいくつかあります。下の項目をクリックすると、例会情報などが御覧いただけます。

生産


日本列島の歴史は米をつくって生活をしていた人々だけではなく、 農耕以外を主な生業とした人々も大きな役割を果たしていたことが わかってきた。窯跡・製塩遺跡・漁労遺跡・製鉄遺跡などは、 その歴史を復原する大きな手がかりとなっている。

窯業

朝鮮半島からの技術導入によって5世紀代に生産のはじまった須恵器は、 古墳時代中期以降、一部は中世に至るまで、考古学研究の基盤である 時間軸の設定に中心的な資料となった。古代においてその最も大きな 生産地であった大阪府南部の須恵器については、森浩一氏による 昭和26年以来の研究により体系化され、昭和33年に発表された論文では、 須恵器そのものの変遷にとどまらず、生産や古代社会の動向についても 考察が加えられ、その後の須恵器研究の基礎となった。

古墳時代


壺と器台

高杯

飛鳥時代


杯身と蓋(西加茂船山窯)

奈良時代


甕(マムシ谷窯)

壺(旗見窯)

平安時代


緑釉陶器皿(本山窯)

鎌倉時代


甕(十瓶山窯)

人間の生活に必要不可欠な塩をつくった土器は、縄文時代の晩期には 関東・東北で確認されている。西日本では弥生時代に大阪湾南部や 岡山県の児島湾周辺で出現し、その後若狭・紀伊・東海などへひろがる。 これらは海岸に近い遺跡での出土が一般的であるが、官衙などの 内陸部の遺跡でも発見され、そのようとが一般的なもの以外の、 祭祀行為に伴った可能性も指摘されている。


当会・若狭の製塩土器

中世の石製品が石仏・石塔に代表されるように、中世の石工は寺院と 密接なつながりをもっていたと考えられる。 大和を中心に東大寺法華堂石燈籠などをつくって活躍した伊派の一流は、 鎌倉極楽寺の忍性に率いられ、長野県の文永寺五輪塔をつくった菅原行長 は南都の石工であった。彼らはその技術によって政治の枠を越えた 広域な活動を行っていた。 なお問う服地にある「大宋諸山図」には、碾磑を用いた麺と茶の製造工房の 設計図が描かれている。


茶臼(新町別館地点)

石鍋(六角町遺跡)

弥生時代以降、大阪湾沿岸の遺跡では、コップ型および鐸状土製品とも 呼ばれた定置漁法による捕蛸用漁具の多数出土することが知られている。 いずれも大きさは長さが10cmほどであるが、遺跡によってはその村の 食料を確保するため以上の、大量の飯蛸壺が出土する。 それらの村は漁業を専門として、「商品」としての飯蛸を採る漁をおこなっていた 可能性もある。


飯蛸壺(大阪府)

漁労具

碇石(伊木力遺跡)

鉄・銅

確実に考古学で把握できる製鉄遺跡は6世紀代であるが、大阪府の南河内に所在する 5世紀代の黒姫山古墳には24領の甲冑が埋納されるなど、古墳には鉄素材や武器・ 農耕具などの鉄製品が大量に納められた。古代・中世における金属の生産とその加工は 当時の最先端技術であり、それゆえそれらは常に各時代の政治や文化の 中枢に携わる問題を投げかけてくれる。なお黒姫山古墳の周辺は、 平安時代以降、鉄と銅の鋳造で全国にその名を知られた河内鋳物師の本拠地となった。


餅石(岩手県)

炉外流出滓(北牧野製鉄遺跡)

寛永通宝鉄銭(青森県)

坩堝(銭司遺跡)
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