同志社大学今出川キャンパスの周辺は、平安時代には 一条以北の京域外であったため、あまり歴史の表舞台に 現れることは無い。しかしキャンパス内の各調査地点からは、 縄文時代から平安時代の土器・陶磁器が発見され、 古代以来のこの地域での人々の生活の様子を知ることができる。 なかでも奈良・平安時代の土器は、正倉院文書の計帳にも みえる出雲郷との関わりを示すものとして重要である。 中世以降は南北朝期に遡る堀の存在が、武家屋敷の出現による 京都の都市の変貌を示し、多彩な室町時代の陶磁器が、 政治の中枢にあったこの地の繁栄を物語る。 江戸時代に入り武家屋敷が建ち並ぶ中、鏡作りの工房が この地にあった。これは多様な構造を示す近世都市の一断面である。