Japanese Site Map

Last update: 8.19.2019
Home - Articles - Collection data and Ruins
Thanks for your access...
3672444
since 2001/10/01
Home
Back [ Articles ]

The research workshops of Japanese History in Doshisha Univ.
In Doshisha University, there are several research workshops of Japanese history by students and teaching staff. Please click below items for getting information of the regular meeting.

Archaeological remains tell us the warfare of medieval times


Takeshi OKAMOTO・Naoto YAMAMOTO
Doshisha University

Last Updated on 15.3.2019

新宗谷館跡は、同志社大学京田辺キャンパス内に所在する戦国時代の城館で、という谷 筋に数多く存在する城館の一つです。普賢寺谷は全国的に見て城館が密集している地域と して知られています。

京田辺キャンパスが所在する南山城地域は、応仁・文明の乱(1467〜1477)に前後して多 くの戦いが行われた地域です。乱後の文明17年(1485)に成立した山城国一揆は南山城の国 人衆を中心に成立しました。文献には当時の普賢寺谷やその周辺に多くの国人が存在した ことが記されています(『経覚私要鈔』・『大乗院寺社雑事記』)。彼らも山城国一揆に参加 していたのかもしれません。時代は下り16世紀の後半にも、普賢寺谷の国人たちは三好氏 ・松永氏・織田氏などの諸勢力の争いに巻き込まれていきます。とくに、永禄10年(1567) には松永久秀が普賢寺谷を焼討ちし(『沢蔵及松永乱記』)、永禄12年(1569)には織田信長 が普賢寺衆を滅亡させている (『多聞院日記』・『二条宴乗記』) ことは注目に値します。 1980年、歴史資料館の前身である同志社大学校地学術調査委員会によって新宗谷館跡の 発掘調査が行われました。最大の郭であるU郭の東端の土塁の付近から多量の遺物が出土 しています。調査当時、それらの遺物は同時に廃棄されたものと判断されました。その内 容は、大和や新宗谷館の近くで生産されたと、信楽や備前などから搬入された擂鉢や甕な どの陶器、中国から輸入された青磁・白磁などの磁器、砥石や石臼などの石製品、甲冑や 刀剣の部品などの金属製品から成ります。遺物の年代はおおむね15世紀後半から16世紀後 半のあいだに収まり、文献から普賢寺谷の国人たちが活動していたことがわかる時期と一 致しています。
これらの土器・陶磁器のなかには、火を受けて変色したり表面の釉薬が解けたりしたも のを多く含んでおり、新宗谷館において火災が起こったことを想像させます。火災の年代 は、これらの遺物の年代のうちもっとも新しい16世紀後半ということになります。16世紀 後半と言えば、永禄10年の松永久秀による焼き討ちや、永禄12年の織田信長による普賢寺 衆の滅亡など、普賢寺谷の戦乱の時期と一致しています。したがって、火災は普賢寺谷の 戦乱と関係したものであったと思われます。新宗谷館は文献に直接記録されているわけで はないので、その歴史は詳しく明らかになっていません。そのようななかで、出土遺物か らその歴史の一端を伺い知ることができるのです。



写真1.新宗谷中世館跡から出土した輸入陶磁器

参考文献
岡本 健・山本尚人・眞田拓弥 2017「京田辺市都谷城館群縄張り調査報告」『同志社考 古』14、同志社大学考古学研究会
岡本 健・山本尚人2019「新宗谷館跡出土の土器・陶磁器・石製品の様相について
―再整理と若干の考察―」『同志社大学歴史資料館館報』21号

Feedback

(C) 2001 Doshisha University Historical Museum, All rights reserved. Terms of Use. Privacy Policy
このサイトに用いられている地図の作成に当たっては、 国土地理院長の承認を得て、 同院発行の数値地図250mメッシュ(標高)を使用したものである。 (承認番号 平13総使、第285号)
Powered by X-Website ver. 1.2.5 - 2018/11/16 released.