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最終更新日: 2017年7月24日
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学内の歴史系研究活動

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本山窯址の緑釉陶器


中屋啓太
同志社大学大学院文学研究科前期課程

最終更新日 2008年5月23日


 京都市左京区の岩倉から北区の西賀茂にかけての一帯には、平安京に供給するための瓦や土器を焼成する窯が丘陵部に多数設けられていました。国指定史跡として有名な栗栖野瓦窯跡はその名のとおり瓦生産を主とした遺跡ですが、本山窯址では緑釉陶器を多く出土しています。栗栖野瓦窯跡から円通寺を越え、北西へ1.1kmほど進んだところに位置しています。

 緑釉陶器とは硅酸鉛を主成分とした釉薬を施した焼きもので、唐三彩や奈良三彩の系譜に連なります。三彩と異なり、施釉された部分は緑一色であることが一目でわかる特徴です。当初は本山窯の位置する平安京周辺(洛北)をはじめ狭い範囲で生産されていましたが、時代が下るにしたがって技術移転が進み、東は東海地方や近江、西は丹波や周防・長門でも生産されるようになりました。

 これまでのところ、本山窯址で本格的な発掘調査は行われていません。今回紹介する緑釉陶器は同志社大学考古学研究室が1956(昭和31)年に灰原を調査した際に採集されたものです。

 現在歴史資料館が所蔵している本資料の多くは、椀または杯、および皿の破片です。緑釉陶器は通常、素地を800℃程度で焼成し、施釉の後再度焼成して完成としますが、施釉されないままのものもあります。生産の途中で放棄されたものとも考えられますが、消費地である平安京内で出土することもあり、「白色土器」と呼ばれる一群との共通性が指摘されています。軟質で褐色〜白色を呈するため焼成の上では土師器と大差ないのですが、本来は緑釉陶器になるべきものとして「緑釉陶器素地」と呼ばれることもあります。また、緑釉陶器素地がロクロで成形されるのに対し、畿内の土師器は手づくね成形が一般的です。このことも緑釉陶器素地が土師器とは区別される理由の一つでしょう。さらに、洛北産緑釉陶器の特徴として、ロクロから切り離した後底部を削り出して高台を成形したものが多いという点が挙げられますが、本資料にも同様のものが見られます。


写真1.本山窯出土の緑釉陶器類

 緑釉陶器の他に、須恵器もいくつか含まれています。本山窯では9世紀後半を中心とする時期に緑釉陶器の焼成を行っていたようですが、洛北産緑釉陶器の胎土が硬質な須恵器同然のものへと徐々に変化していく時期にもあたります。ここでその当否は検討できませんが、本山窯址の須恵器も施釉して緑釉陶器とする前のものだったかもしれません。須恵器の製作技術を導入したことは緑釉陶器の量産化を意図したものと考えられていますが、同時に製品の粗雑化が進み、10世紀にかけて洛北の緑釉陶器生産は衰退へ向かっていきます。


写真2.緑釉陶器の碗

写真3.須恵質の碗

 このように、ひとくちに緑釉陶器といってもその成立から消滅までには他のさまざまな土器との関わりがあります。平安京跡における広範な出土例や各地方での生産とあわせ、平安時代を代表する焼きものと称される所以です。

 参考文献

 宇佐晋一1956「緑釉土器窯址本山遺跡とその周辺」『古代学研究』第15,16号

 高橋照彦2003「平安京近郊の緑釉陶器生産」『古代の土器研究―平安時代の緑釉陶器・生産地の様相を中心に―』古代の土器研究会

 平尾政幸1994「緑釉陶器・灰釉陶器・白色土器」『平安京提要』角川書店

 森浩一2008『京都の歴史を足元からさぐる(洛北・上京・山科の巻)』学生社


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