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The research workshops of Japanese History in Doshisha Univ.
In Doshisha University, there are several research workshops of Japanese history by students and teaching staff. Please click below items for getting information of the regular meeting.

29 : Flower bottle


Hitomi MATSUMOTO
Student of Doshisha University Faculty of Letters

Last Updated on 12.8.2003


 新町キャンパス第一従規館地点東側に位置する南北方向の溝(溝18)から、瀬戸で焼かれた陶器の仏花瓶が出土しました。

 仏への献花は仏供養のひとつであり、現在でも仏前には花をお供えします。貴人を迎える際に花をもって飾り、清める習俗はインドからのもので、生花を散らして地上を花で敷きつめたり、生花を糸で結び花輪を作って飾ったり、瓶に挿して飾ったりしましたが、これが仏教の中に取り入れられて仏供養の重要な要素になったといえます。

 仏を供養するための道具の主なものは、香をかおらせるための道具・花を挿してお供えするための道具・あかりをともすための道具の三種類で、それぞれ香炉・花瓶(華瓶)・燭台といいます。これらをまとめて「三具足」と称し、多くは仏前の前机に配置されます。顕誓(戦国時代の浄土真宗の僧)の『古今独語』(永禄10年(1567年)以降)には「伝絵四幅の前に三具足を卓の上に列ぬ」とありますが、これが三具足の呼び名の始めではないかと考えられています。また、花瓶と燭台を左右一対で用い、それと香炉を合わせて一セットに見立て、「五具足」ということもあります。

 鎌倉時代は、浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗などの新仏教がつぎつぎと現われた時期ですが、三具足は各宗派に共通して、基本的な供養具とされました。

 浄土真宗には、三具足・五具足のほか、四具足というものがあります。これは花瓶二個と香炉・燭台各一個とを組み合わせる方法で、その置き方については『真宗故実伝来鈔』下に、香炉を卓の中央に、左右に花瓶を置き、燭台は香炉の奥に配置することとされています。

 そのほか、浄土宗では、僧の開通が江戸時代中期から角形のかどがあるものではなく、丸みを帯びた装飾のない質素・端麗な五具足を用いました。これを開通形といい、この供養具は開通派を中心に使われました。

 通常、仏の正面中央に置かれるのが香炉で、その近くに花瓶と燭台が並べられます。このようなしきたりはインド以来受け継がれてきたものですが、供養具としての香炉・花瓶・燭台が特に重視され、はっきりと三具足のかたちが整えられたのは鎌倉時代ごろからだと見られています。絵巻物では、平安時代末の『平家納経』、鎌倉時代の『華厳縁起』・『法然上人絵伝』、室町時代初頭の『融通念仏縁起絵巻』などに、香炉を中心として左右に花瓶を置いた様子が描かれており、三具足への過程が察せられます。室町時代に入ると、供養の仏具のうち、花瓶といけばなが関わりをもつようになり、三具足が発展して五具足も用いられるようになりました。慧空(えくう、江戸前-中期の僧)の『叢林集(そうりんしゅう)』には、「卓三具足は諸宗共に用うるか、大会懇重の時は五具足なり」として、重要な儀式や仏事のあるときには五具足となる、と述べており、場合に応じて供養具の数を加減すべきだとしています。

 三具足のなかのひとつ、花瓶(華瓶)は‘ケビョウ’と読み、その名の通り花を挿す瓶で、華生・華入とも言われ、もとはインドの香水(こうずい)を入れる宝瓶(ほうびょう)であったのではないかと考えられています。昔の瓶は、ふたがただのっているだけで、しっかり締めて密閉することができないため、水にシキミ(仏前草)や香の粉末をいれても、かおりがいつの間にか抜けてしまいました。それを防ぐために、この瓶の口を覆ったり、栓をしたりする意味で、瓶に花をさし、そのことから供花のうつわに転用されたものだと言われています。

 花瓶には、「亜字形花瓶」と「徳利形花瓶」とがあります。亜字型花瓶は、口が広くて頸が狭く、膨らんだ胴の下に腰の細い台が付いていて、ちょうど漢字の「亜」に似た形をしているためその名があります。一方、徳利形花瓶は細長い頸に下膨れの胴、その下に低い高台が付いているもので、今回出土した花瓶は、この徳利形花瓶だと思われます。

 密教法具としての亜字型花瓶は、その首と腰に紐を飾るのが普通ですが、きわめて古式な品である静岡修禅寺墓地出土品や二荒山神社所蔵の栃木男体山出土品、奈良朝護孫子寺花瓶などは紐飾りがなく、古くは素文花瓶も流布していた形跡があります。また、亜字型花瓶の表面には文様をつけないのが通常ですが、栃木輪王寺や奈良唐招提寺の鎌倉時代の花瓶などのように、首と腰の部分に蓮弁(ハスの花弁の紋様)を飾ることもあります。この花瓶の時代的特徴は、古いものは口が広く肩が張っていて、首と腰が締まった器形で、首と腰の紐飾りが細く、全体に薄手の鋳製で、底板がありません。底は木栓をつめたようで、まれに木栓の残っているものが見られます。

 密教の徳利形花瓶は、首と肩と胴に紐飾りをめぐらすだけのものもありますが、遺品の多くは首と腰に蓮弁装飾をほどこし、さらに高台の下に蓮華座を備えています。この式の花瓶を特に慈覚大師(円仁の贈り名)請来型と呼ぶこともあります。

 今回花瓶が出土した第一従規館地点の溝18は、16世紀前半(室町時代後期)に掘削され、短期間のうちに埋没したものと考えられています。よって、この花瓶はそれ以前のものと考えられ、本満寺にともなって使われていた仏具が、溝が埋められた時に捨てられたと見られます。また、溝18から仏具が出土したということから、その近くに寺(本満寺)があり、この溝が寺院を囲むものだったと考えることもできます。出土した花瓶は残念ながら完形ではありませんでしたが、その欠けた部分によって、当時の様子に思いを馳せるのも楽しいかもしれません。  


仏花瓶

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